報告
第20回 公開シンポジウム 『移動とネットワークから地域文化研究を考える』
日時: 2012年10月27日(土) 13:30-17:30
場所: 東京大学駒場Ⅰキャンパス18号館ホール
ネットワークは私たちの生活の一部である。
学生諸君はSNSを使い、教員も学会で研究発表や 討議に参加して人脈作り(ネットワーキング)をする。だが個人の経験を離れるなら、ネットワークは どういう力を持ち、社会をどこまで動かしているのだろう。 世界各地の事例からこの問いを考えようと、大学院地域文化研究専攻は科学研究費補助金「移民とその故郷」の共催を得て、 昨年10月27日、通算第20回目の公開専攻シンポジウムを開いた。
ネットワークは空間的に離れた人々を、特定の目的のために結ぶ。
高橋英海(地域専攻)は、かつて中国やインドに至る宣教ネットワークを形成したシリア語を用いるキリスト教徒を取り上げ、良き信徒たらんと願うがゆえに彼らは時に他国に移り、よそ者として「居留」した、と中世の宗教書を引いて指摘した上で、現在の彼らを紹介した。彼らの多くは今日、故郷のトルコやイラク、シリアを離れて、欧州や北南米で暮らす。移住先では現地の文化に同化して、固有のアイデンティティが失われる危険がある。それでも、彼らは典礼用語として共有するシリア語を基盤につながりを維持し、故郷の教会の再建にも資金を提供している。
現実のネットワークは新しいイメージの連環を生みだす。
アルヴィ宮本なほ子(地域専攻)は、王立協会会長を40年も務めたサー・ジョセフ・バンクスの帝国主義的人脈(ネットワーク)の、意外な影響を取り上げた。バンクスは1773年に国王の信任を得て、観賞用植物園キュー・ガーデンを、世界の植物を収集する場に変えた。詩『ボタニック・ガーデン』でここを描いたエラズマス・ダーウィンはその中で、当時誰も見たことがなかったジャワの樹木ウパスを、「毒の木」と呼んだ。ウパスはバンクスの周辺によって科学的に検証され、イギリスとインドの植物園に移植されていくが、他方で文人たちは 「毒の木」イメージに刺激され、多くの作品中でウパスの「毒」に触れた。その後も、この木はイギリス帝国主義のメタファー(「イギリス」の「毒の木」)となって、文学に現れ続けた。
ネットワークは独自に空間を編成する。
苅谷康太(東京外国語大学)は、北アフリカ起源のスーフィー教団であるティジャーニー教団に帰属したイスラーム知識人が、師と知を求める「修学の旅」という移動を通じて築いたネットワークを、空間上に復元して見せた。師弟関係の構築や書物の学習を介して生まれるこのネットワークは、西アジアから北アフリカ、サハラ沙漠、サハラ以南アフリカにまで広がる。こうしたネットワークの存在は、サハラ以北 と以南とを切り分ける既存の支配的な地域認識を相対化し、西アジアからサハラ以南アフリカまでの広大な空間を一つの地域として捉え、考察する必要性を教えてくれる。
ネットワークの維持には努力が欠かせない。
谷垣真理子(地域専攻)は、関元昌(1823~1912年)一族が2003年から3年ごとに催している大規模なリユニオン活動の観察を続けている。クルーズ船でアラスカを回った2009年のリユニオンは、船内で房(親戚筋)の離れた人々同士も交流し大成功だった。ただ準備は大変である。キリスト教徒である関氏一族は女性も族譜に入っており、2003年の族譜には、 物故者も含め1016人が名前を連ねた。新中国の建国後、一族の多くは北米に住み、今日では肌の色も多様である。リユニオンでは英語が共通語で、一族メンバーは3~5桁の家族コードで認識される。多くが集って交流し一族の歴史を学ぶリユニオンは、ITを駆使した準備があってこそ開きうるのだ。
ネットワークは国境をまたいで多様に作られるので、国ではなくこれを中心に地域を設定し直せば、一味違った地域文化を探求できる。
だが「緩さ」もネットワークの特質で、人はネットワークのみに依存して生きることはできない。コメンテータの遠藤泰生・高橋均(共に地域専攻)は、このように各報告の論点をつなぎ、浮き彫りにした。
各報告の図版や写真に示されたネットワークは、聴く者を引きつける、個性あふれるものばかりだった。また、自由な研究設定は、研究を始める学生諸君にも大いにヒントになるだろう。
地域文化研究専攻では今後も具体例から世界を捉え、発信したいと考えている。
橋川健竜
(『教養学部報』第554号 「ネットワークから考える 地域文化研究専攻シンポジウム」より抜粋)
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